私の大切な言葉
「みんなから好かれなくてもいい、一人の理解者がいてくれれば」
私が対人恐怖症を発症したのは、高校生の頃。
洋楽にのめり込み、いつも音楽を聴き、好きなアーティストのMVを見て現実逃避をしていました。
学校が嫌いだけど、その割には出席率も成績も良く、早く学校を卒業して英語の専門学校に行くことばかり考えていました。
ある日、クラスメイトの前でレポートを発表した時に、突如胸がドキドキしてまともに言葉を発することができなくなり、クラスのみんなの前でしゃがみこんでしまいました。
この1件以来、何だか人前に出るのが恥ずかしくなりました。人前で教科書を声に出して読むと胸がドキドキしたり、人前で何かを発表することができなくなりました。電話で話すときも、ファーストフード店で注文を伝えるのも怖くなってしまいました。
それから20年以上経った今は、普通に事務の仕事をしています。
電話の応対も、お客様と話すことも、仕事をする上で上司に相談する時も、仕事だと思えば普通にできるようになりました。
馴れと時間が、解決してくれたのだと思います… でも、最初はやっぱりすごく苦痛でした。
ただ、そんな時でもたった一人でも、身近に悩みや不安を聞いてくれる人がいれば、心強いものです。
緊張してばかりで、勝手な想像で周りにいる人をずっと誤解して、自分を嫌っているんじゃないかと思いこむのは、間違っていたなと感じています。
自分の見せたくない弱みを一度さらしてみると、誤解していた相手が意外な反応で簡単に受け入れてくれたとき、相手に対する誤解も緊張もすぐにほどけました。
なにも、みんなから好かれる必要はないのです。
社会にはいろいろな人がいますから。
たった一人でも、自分を分かってくれる人がいれば、いいじゃないか、今ではそう思えるようになっています。
子どもの時からの数少ない友人の中に、いつでも私の話をよく聞いてくれて、彼女なりのアドバイスをしてくれる、そんな友人がいます。
彼女はさほど洋楽に興味がありませんでしたが、私が大好きなアーティストの話をすると「はいはい、また○○の話?」といいながらもいつも私を否定することはせず、私の好きなアーティストのことも決してけなしたりしませんでした。
困ったやつだ、と思っていたところもあったでしょうが、いつもよく話を聞いてくれました。
たった一人であっても、自分を理解してくれる人がいると思うだけで、ちょっと安心できていたのだなと思います。
みんなから好かれなくてもいい、一人の理解者がいてくれればそれでいい、そう思えるのはこの友人のおかげです。
(女性 あいまいみー)